
奥山 美由紀
これは日本占領下のオランダ領東インド(現インドネシア)で生まれた日系オランダ人たちのドキュメンタリーである。彼らの父は日本人軍人や軍属、母はオランダによる3世紀半の植民地支配中に発生したヨーロッパとインドネシアの混血グループの出身。悲惨な戦争が終わっても、すぐにインドネシアが独立を宣言、独立を認めようとしない宗主国オランダとの戦争となった。そのような長引く混乱の中、日本人の血を引く子どもたちは、戦後結婚した母親に連れられて、「見知らぬ祖国」オランダへと引き揚げた。移住後には平和な生活が待っていた訳では一切なく、養父はしばしば日本軍の強制収容と過酷な労働を生き延びた者が多かったため、彼らは養父のトラウマが原因となる虐待などを体験したものが多い。その多くは日本のルーツを知らされることなく、常に出自に疑問を持ちながら「敵の子」として成長した。戦争で生まれた多くの日系オランダ人たちは、長年の間自分のルーツを求めながら晩年へと至っており、一部は日本人の実父を今でも探し求めている。
「ディア・ジャパニーズ」は、オランダ在住の日本人写真家としての個人的な視点から撮影した、海外の同国人の主観的なドキュメンタリーである。写真家と被写体たちは、日本人としての誇り、また疎外感や罪悪感などを共有することになった。

国家における正史という名の物語は、その時々の政治背景によって様々な形で語られ、また同時に語られずに存在してきた。2015年、日本において数少ない公の戦争博物館の一つ、「ピースおおさか」で起きた一つの出来事(アジア太平洋戦争における日本軍の加害行為の展示撤去)は、日本の戦後の歴史教育とそれを決定してきた政治による一つの帰結であった。私は、2017年よりマレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、韓国、オランダ、イギリス、オーストラリアを訪れ、アジア・太平洋戦争にて日本軍の犠牲となった人々へインタビューを開始した。日本の正史からこぼれ落ちた個人の戦後史を知るとともに、「日本人としての私」と「戦争」について繰り返し考え続けた。
この作品は2019年から進行中の東京大空襲に関するプロジェクト「青い鳥のとまり木 / The Bluebird Perch」の映像を基に構成されたものです。1945年3月10日未明、深夜の東京大空襲で焼けた樹木が今現在も東京都内(主に江東区、墨田区、台東区)に残っているという事実を知り、このプロジェクトは始まりました。「戦災樹木」を軸にして、当時起こった新たな史実を調査すると共に、夜の樹木、町、空襲、という異なった視点を通しながら、現在の光景を観察、それらの存在を未来に残すことを目的としています。
1959年から84年まで行われた在日朝鮮人らの帰国事業。この期間に、約 93000 人が朝鮮民主主義人民共和国へ渡った。その中には朝鮮人の夫に同行した、約 1800 人の「日本人妻」たちも含まれていた。 1910 年に日本が朝鮮半島を植民地として以降、教育を受けるため、労働徴用や徴兵などの戦時動員、 また生活難から逃れるためなどの理由で多くの朝鮮人が日本へ渡った。私が取材をしてきた、日本人妻 の夫もこの時期に日本へきた在日一世、またはその子どもとして日本で生まれた在日2世である。 相手 が朝鮮人だということで家族から結婚を反対された思い出、近い将来国交が結ばれ日本と行き来ができるようになると信じて新潟港を出港した日、子どもや孫を育て 60 年が経ち、夫を看取ってきた日本人女性たち。 「死ぬ前に一度でも日本を訪れて、両親の墓参ができれば、いつでも安らかに死ぬことができるんです」 という思いを抱きながら、既に多くの日本人妻たちが亡くなっていった。 このプロジェクトは2013 年以降、8人の日本人妻たちがかつて暮らした日本各地の故郷と、現在暮らす北朝鮮との間を往復し、12 回の訪朝を重ね、個々の記憶を少しずつ紡ぎ合わせていった。 同じ日本人女性として、あの時代に若かった日本人妻の女性たちが、自身の意志で迷いながらも自らの人生を摸索し切り開こうとした、 その姿に共感し年を重ねた現在の姿を記録した。